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節分の豆まきの由来と有名どころと今年の恵方

   

吉田神社の節分祭

 

節分とは

 

本来の節分とは、立春・立夏・立秋・立冬の前日のこと

を言います。

 

つまり、季節の変わり目のことを節分と言う事になります。

 

ただ、近年と言っても江戸時代以降ですが節分と言うと、

立春の前日のことを言う意味になっています。

 

太陽黄経が315度となる日を立春と言う事になっていて、

近年では節分は毎年2月3日に固定されているような感じですが、

実は1984年までは2月4日になったり2025年からは2月2日に

なったりします。

 

これは、地球が太陽の周りを約1年を掛けて1周するのですが、

グレゴリオ暦では一年の平均日数を365.2425日とするので、

誤差が出てそれを閏年にして調整するため、違ってくるのです。

 

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節分の豆まきの由来

臨済寺の節分豆まき

 

現在でも節分で「鬼は外、福は内」の掛け声で豆まきを

する家庭もあることと思います。

 

これは何を意味しているのでしょうか?

 

季節の変わり目には鬼の邪気が生じると考えられていまして、

その邪気を払う悪霊払いであり、節分の儀式は宮中でも年中行事と

して執り行われていました。

 

豆まきのいわれですが、宇多天皇の時代(西暦900年前後)に、

鞍馬山の鬼が京の都を荒らすのを、祈祷で鬼の穴を封じて、

三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし

災厄を逃れたという故事が始まりと言われています。

 

炒った豆(大豆)を使うのは、旧年の厄災を豆に込めて

捨てる為、撒いた豆から芽が出てはぶり返す恐れがあるため

都合が悪いためです。

 

なお、一般には「鬼は外、福は内」の掛け声で豆まきをしますが、

鬼に関係する神社や地名、苗字などでは「福は内、鬼も内」との

掛け声で豆まきをするところもあるそうです。

 

豆まきの有名どころ

京都吉田神社の節分祭
photo
吉田神社HPより

吉田神社は貞観元年(西暦859年)平安京の守護神として創建されてより、

導き厄除け開運の神様として崇敬篤き神社です。

 

ここの節分祭は3日間あり、節分前日祭、節分当日祭、節分後日祭と

趣向を凝らしていますが、トップの動画にある追儺式(鬼やらい神事)

節分前日祭の午後6時から執り行われます。

 

京都八坂神社の節分祭

 

全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の

総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。

 

八坂神社は京都の祇園の舞子さんや芸子さんたちが豆まきをするので

各地で鬼が主役となっているのとは異なり、あでやかです。

 

ここの節分祭は2日間あり、節分祭1日目は、厄除・健康・幸福を祈ります。

先斗町(午後1時)、 弥栄雅楽会舞楽(午後2時)、宮川町(午後3時)

それぞれ奉納後豆まき があります。

 

節分祭2日目は、今様(午前11時)、祇園甲部(午後1時)、祇園太鼓・

祇園獅子舞(午後2時)、祇園東(午後3時) それぞれ奉納後、豆まきがあります。

 

両日境内において景品付福豆授与・甘酒の接待が有ります。

 

 

今年の恵方は

 

さて、恵方巻きは恵方の方向に向かって、無言でむしゃむしゃ食べるのですが、

その恵方とはどの方角なのでしょうか?

 

恵方とは歳徳神(としとくじん)がいる方向で、これは決まりごとがあります。

 

その年が甲(きのえ)・己(つちのと)の時は甲(きのえ)の方角(東北東やや右)

その年が乙(きのと)・庚(かのえ)の時は庚(かのえ)の方角(西南西やや右)

その年が丙(ひのえ)・辛(かのと)
戊(つちのえ)・癸(みずのと)の時は丙(ひのえ)の方角(南南東やや右)

その年が丁(ひのと)・壬(みずのえ)の時は壬(みずのえ)の方角(北北西やや右)

このように決められています。

 

2016(平成28年)は丙(ひのえ)ですので南南東やや右

2017(平成29年)は丁(ひのと)ですので北北西やや右

2018(平成30年) 戊(つちのえ)ですので南南東やや右

2019(平成31年)は己(つちのと)ですので東北東やや右

2020(平成32年)は庚(かのえ)ですので西南西やや右

2021(平成33年)は辛(かのと)ですので南南東やや右

2022(平成34年)は壬(みずのえ)ですので北北西やや右

2023(平成35年)は癸(みずのと)ですので南南東やや右

 

 

 

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